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YUTAKA KUBOTA


久々に聴く機会があった曲について気になったことを少しづつ書いていたら長くなったのでここに「ときどき日記」としてまとめた。

                                                           


        このページで使用される写真はすべて
             Nobuhiro.Oyama氏(悠々アートハーツクラブメンバー)の作品です。
           


                                    
メンデルスゾーン

弦楽八重奏曲 Es Op.20
   その1〜8



2006年01月16日 15:29  メンデルスゾーン弦楽八重奏曲 その1

昨日テレビでこの曲を聴く機会があった。 昔から好きな曲なので気になって見てしまった。
8人の演奏者は誠実な演奏ぶりで、音色も清潔、メンデルスゾーンに似合うサウンドと音楽作りで好感が持てた。
(演奏者の一人の無表情さが気になったが・・・)

問題は第一楽章の提示部の繰り返しをカットして展開部に入ってしまったこと。
この「カッコ1」を演奏しないとはなんと残念な決断をしてしまったことか・・。
(演奏者サイドか、録音製作会社サイドの決定かは分からぬが)

この曲の第1&3楽章が好きだ。そのなかでも特に第1楽章の提示部繰り返し部分での最高音のEsに至るまでの緊張感と興奮、
そして楽章のコーダでの人生の黄昏を見事に表現したような哀愁に満ちた音楽によってもたらされるカタルシス。この2箇所が
第1楽章の最も大切な部分なのに・・・残念。

この後に第3楽章、妖精も驚く!軽やかな飛翔スケルツォを体験することで脳と心が細部までリフレッシュされて軽やかな感性と
体の感覚を取りもどして現実世界に帰ってくる。
自分流のこの曲の聴き方
。 

つづく










メンデルスゾーン 弦楽八重奏曲 Es Op.20 その2

2006年01月18日 12:14

好きなアンサンブルの演奏でこの曲を聴きなおしてみた。
好きな部分がもっとたくさんあるのを思い出した。

前回は第一楽章の「カッコ1」自体の素晴らしさについて書いたが、この「カッコ1」を経てくり返される提示部が一回目より一段とアクティヴな演奏になって音楽がどんどん成長していくような効果も出ることに気がつく。

通常古典派の交響曲などでくり返される第1楽章の提示部はただの繰り返しになってしまい音楽的にもつまらなくなってしまう場合が多いが、この八重奏曲の繰り返しは完全に生きている。見事なものだ。

展開部から再現部への移行も見事。メンデルスゾーンが後期ロマン派もどきの離れ業を見せている。

頂点であるべき展開部の最後に音楽が深い谷間の霧の中に消え行くように沈んでゆく。最弱音で不安げに出口を求めながら彷徨う様の何というはかなさ。

聴き手を不安のどん底に落としたあとの静けさのなかから、第1テーマのメイン伴奏系であるシンコペーションがはるかかなたに姿を現し、力づけるように少しずつ湧き上がってくる。希望に満ちた出口を目指して長い疾走のクレッシェンドがはじまる。悲しみから喜びの爆発にいたって第1テーマが全力で再現される時の感動は素晴らしい。

この曲を聴くたびに10代なかばでこのようなロマン的な曲を作曲する感性を持ったメンデルスゾーンの才能に感心する。
展開部で出口を探しながら不安げに彷徨う手法はブラームスなどに受け継がれる。
つづく










メンデルスゾーン 弦楽八重奏曲 Es Op.20 その3

2006年01月19日 11:52

この曲に関して思い出すことがまだたくさんある。

第1楽章の第1主題はなんと3オクターブ+1音というとんでもなく広い音域を使ったメロディーで、ロマン派の特徴的なメロディーとして取り上げられることも多いが・・。

ベートーベンの第九交響曲「合唱付」の第1楽章の第1主題が2オクターブを下降する大胆なメロディーで驚かされるが、この第九交響曲初演の翌年に若干16歳のメンデルスゾーンがこの規格はずれ!のメロディーを書いている。驚きである。

大胆で男性的な第1主題に対比する第2主題は、わずか5音程しか使用しない穏やかで滑らかな女性的なメロディーである。

これ以後有名作曲家達の作品にも広い音域を使用する場合がたくさんあるが、短いモチーフ、小フレーズ的な扱いが多い。

例えばR・シュトラウスの「ドンファン」冒頭の3オクターブ+2音の音型や、ドンファンのテーマでは2オクターブを超える音型が出てくるがどれも短いメロディーである。(2分の2拍子で4小節か8小節)

メンデルスゾーンがこれほど大胆でありながら音楽的に美しく長いメロディを書いたのはやはり天才の証。(4分の4拍子で8小節)

つづく








メンデルスゾーン 弦楽八重奏曲 Es Op.20 その4

2006年01月20日 18:51

第T楽章についてもう少し書こう。

たくさんの特徴を持つ楽章であるが、今日は展開部の特殊性について。

1楽章全体の演奏時間14分ほどで各部は、
提示部が約4分(繰り返すので8分近い)、
展開部が約3分、
再現部が2分、
コーダが45秒

繰り返しを除くと4:3:3でバランスは良い。が、

通常、展開部においては提示部で示されたいくつかの主題を様々に変化させて、聴く者に興奮を与えるのを目的とした音楽つくりがなされる。
強くなったり弱くなったりの音量の変化はあっても基本的には興奮(大音量)と緊張で攻める場合が多い。
※感動と興奮はまったく違う要素であるがしばしば混同(勘違い)されるので注意。

この八重奏曲の展開部では珍しい設計がなされている。
盛り上がった提示部からそのまま展開部に突入するので大音量の興奮部分ではじまることになる(普通は途中で山あり谷ありで展開部後半に向けて盛り上がる曲が多い)。

激しい第1主題の展開がわずか40秒間だけ続く。

その後、弱音で悲しく現れる第2主題への移行のために30秒間にわたって弱まっていく経過部。

静かな第2主題はわずか22秒間。

再現部への長い盛り上がり部分の出発点である最弱音部への経過部が36秒間。

谷底から再現部まで盛り上がり続ける経過部が40秒間。

展開部でメロディーらしき部分は3分間のうちの第1、第2主題合わせてわずか1分間しか無い。
後の2分間は断片的な音型だけで作られる経過部分だけの音楽ということになる。

展開部を音量で見てみると、大音量の興奮部分は展開部の最初のわずかに40秒間しかない。

後の2分20秒間は弱音(ディミニュエンドを含むが)の経過部ばかりという不思議な音楽である。
(ただの経過部とはいってもその後に来る再現部に向かう音階型疾走経過部はなんと見事に音楽的に機能していることか。この経過部なくして再現部の感動的な第一主題への再帰は考えられない。

この展開部での展開の控えめさはなぜか。
展開要素を数多く持つ第1主題が主題確保部分においてすでに展開部もどきの素晴らしい展開がなされていること。
提示部の小結尾部分でもこの主題の音型が派手に盛り上がりを助けて大活躍していることに原因があるのではないだろうか。

充実した提示部ゆえに演奏時間が長くなってしまったので展開部での新たな展開を控えめにしたとも考えられる。

とにかく充実した提示部に仕上がっていることが展開部を控えめにした最大の原因と考えるが、この展開部の第1主題からはじまる劇的展開ぶりも短いながらも見事な出来ばえ。

もし展開部のクライマックスを再現部の始まりに持ってくるという手法を考えたのであれば前述のベートーベンの第九交響曲の
第1楽章が見事な手本となっている。

新しい音楽形式を作ることをメンデルスゾーンが考えていた場合は次のようにもなるのでは。

提示部の後半から展開部の始まりにかけての盛り上がりをこの曲のクライマックスとして捉えるならば、その後の展開部の残り部分はすべて再現部への移行部分となるうる。つまり展開部はしっかりとは存在しない。させない!。

同時代に活躍していたロッシーニが展開部を欠いた序曲を書いていたが、それと同じ形に近くなる。
メンデルスゾーンが作曲を始めた頃は、ちょうど世の中はロッシーニの音楽が大流行だった頃。
再現部前の長いクレッシェンド音型はロッシーニ・クレッシェンドと瓜二つではないか。

大好きな第1楽章のコーダについては次回。










メンデルスゾーン 弦楽八重奏曲 Es Op.20 その5

2006年01月23日 15:40

第一楽章の大好きなコーダの素晴らしさを少しばかり・・。

提示部同様に再現部においても、低音部に表れる第一主題の展開音型と高音部の上昇型メロディーの組み合わせによる力強く高揚するコーダ前半の後に、第一楽章全体を締めくくる見事なコーダがやってくる。

展開部の最後から再現部にかけての、最弱音からクレッシェンドして行く技法がここにも姿を現す。

深い谷間をさまようごとき弱音のハーモニーが不安感を見事に表現し、ソロヴァイオリンが一人そのハーモニーの上で切ないメロディーを断片的に奏しながら出口を探し続ける。このメロディの音域の狭さと半音の使用が寂しさとはかなさを表すが、音域が上昇していくので希望への思いがつのっていくを聴き手は感じることができる。

深い霧を想わせるハーモニーだけの伴奏のなかから、シンコペーション音型による胸の鼓動と励ましを感じさせる音型が表れ、ソロバイオリンをクレッシェンドでフォルテまで引き上げていく。が・・

たどり着いたフォルテが突然ピアノの静けさに変わると同時に、穏やかで爽やかな風が吹く平安の地にいるのを発見する。(この落ち着いた雰囲気は低音の8部音符の安定したリズム体がもたらしているのを感じよう)

寂しげな経過部の後に表れるこの新しいメロディー(第一主題の8部音符の動きに影響されたもの)の美しさ。青春のはかなさと清らかさを見事に表現したものだが、私のような年齢のものには人生のたそがれをしみじみと感じさせながら、過ぎ去った人生の様々な場面を蘇えらせてくれる働きもある。

20小節にもおよぶこの長いメロディーはもっともメンデルスゾーンらしいものではないだろうか。興奮とは違う、なんともいえぬ感情の高まりを感じさせる。

この手法は第4楽章のコーダにも姿を見せ、大騒ぎの第4楽章の終わりになにやら遠い第1楽章を懐かしんで振り返るかのような
瞬間を見せる。メンデルスゾーンならではの技で見事な統一感を与えることに成功している。

メンデルスゾーンの有名なヴァイオリン協奏曲の第3楽章のコーダや、ピアノ作品「無言歌集」の中にも多くの曲で、この「たそがれ」型コーダを聴くことができる。

身近な名曲ではドヴォルザークの「新世界」交響曲にも随所で「たそがれ」を感じさせるメロディーと響きを聴くことができる。
たそがれ名曲リストを作るのも楽しいかもしれない。

次は、これまた大好きな第3楽章のスケルツォについて。










メンデルスゾーン 弦楽八重奏曲 Es Op.20 その6

2006年01月30日 14:23

指揮法研究会で「音楽について」の話をする時間を持つクラスがある。指揮の技術的なことばかりでなく音楽のとらえ方全般についていろいろな角度から話をする。

月に一回の講座だが、毎回の内容を考えているうちに、なんとなく「妖精」に関係した音楽を書き出していた。多分講座で使うことはないだろうが「妖精」系の音楽はなんとなく気に入っているので自分の楽しみのために「妖精音楽リスト」を書き続けている。

この日記で書いているメンデルスゾーンの弦楽八重奏曲の第3楽章がまさにそれで、メンデルスゾーンの天才性の証ともいえるメロディーだ。

細かい音型、速いテンポで「メロディー」を書けるかどうかが本物の作曲家とよくいわれるが、まさにこの楽章を聴くとそのいわれを納得してしまう。

メンデルスゾーン自体も「妖精」系の音楽が好きだったのだろう、17歳の時に作曲したシェークスピアの劇「真夏の夜の夢」のための序曲ですでに完全なメルヘン世界をオーケストラで表現している。

大作曲家ならだれでもこのような雰囲気の曲を好きなら書けるというわけではなく、メンデルスゾーン独自の才能があればこそといえる。

メンデルスゾーンの妖精系音楽で不思議なのはそのほとんどの作品が短調で書かれているということ。
妖精は大体が奥深い森で夜にあらわれるものだからかもしれないが、この楽章を作曲する際に受けたインスピレーションはゲーテのファウストのワルプルギスの夜(魔女と悪魔の宴)の場によるという。
ベルリオーズの幻想交響曲の終楽章も同じ内容を表現しているのだが、その表現方法はまったく異なるのが面白い。

つづく








メンデルスゾーン 弦楽八重奏曲 Es Op.20 その7

2006年02月01日 12:33

メンデルスゾーンは第3楽章に伝統的な3拍子のスケルツォやメヌエットの代わりに、2拍子の間奏曲風楽章を置く事が多い。
メンデルスゾーンは激しいスケルツォや踊りのメヌエットより無邪気に遊ぶ洒落た雰囲気の方が好きなのだろう。
ブラームスも同じ手法を使っているがその内容は大きく異なる。

メンデルスゾーンの間奏曲的な楽章にはこの曲の様に軽やかな妖精系の音楽と、穏やかな民謡的な素朴さを感じさせる音楽がある。
この第3楽章は「真夏の夜の夢」の序曲とスケルツォに並ぶ代表的な妖精系音楽だろう。(この楽章を作曲する際に受けたインスピレーションはゲーテのファウストのワルプルギスの夜(魔女と悪魔の宴)の場によるが・・)

曲の開始で内声部の16部音符の小刻みな羽音、低音部の弾むリズムはあちらこちらと跳ね回る様を表現する。
それらの伴奏の上を楽しげなヴァイオリンの主旋律が軽快に飛び回る。
なんとも心地よく心が騒ぐ音楽である。

曲の基本は短調ではあるがそれほど暗さや深刻さを感じさせないのは、この暗さが奥深い森の夜やメルヘンの不思議感を表しているからだろう。心地よい緊張感をともう不思議に心落ち着く短調である。

もちろん曲の途中では長調に変わり、明るく、より活発に浮かれる場面もある。この短調から長調に移り変わる瞬間の気持ち良さも又格別。

メロディーが様々な楽器を渡り歩くたびにそれぞれ異なった妖精の様子を表現しているようで楽しい。妖精にも年齢差や運動神経、スタイルの良し悪しはあるようだ。

変幻自在の音楽が空想のステージ上のありとあらゆるシーンを描写しながら流れていく。
聴こえてくる様々な音型から何を聞き取れるか、空想力が強い人ほどこの音楽をたっぷりと楽しむことが出来るだろう。

コーダで妖精界の色々な出来事も終わりに近づき全員が同じ動きで一つになる。
スコアのこの部分は丸々1ページが同じ音譜と休符だけで埋め尽くされ、まるでミニマルアート模様の壁紙のような楽譜面になって圧倒される。全員がユニゾンで演奏しているのも驚きである。

曲の最後は妖精の消え方と同じ。スーッと舞い上がってプツンと消滅する。

曲が終わり現実に帰った自分は身も心もリフレッシュされている。メンデルスゾーンよありがとう。

 つづく









メンデルスゾーン 弦楽八重奏曲 Es Op.20 その8

2006年02月05日 12:25

第4楽章は「ワイワイ大騒ぎ型音楽」の代表みたいな曲。

演奏によっては騒がしいだけの内容のない軽い感じになる場合もあるが、クラシカルなアプローチでしっかりと弾きこんだ演奏ではりっぱな感じにもなる不思議な楽章だ。

4つの主題と第3楽章のスケルツォ主題が組み合わされたり、追いかけあったりでまさに大波乱状態を作り出す。

フーガや展開で活躍する主要主題は4+1(スケルツォ主題)だが、曲を聴いてみれば伴奏部分に現れる多くの断片的な音型も十分に主題といえるほどのまとまりを持つものが多い。第1楽章の主題の変形メロディーも随所に現れ、まさに音楽福袋状態。いくつのモチーフを聴き取れるか試してみると面白い。

基本となる主題がすべて力強い主題ばかりというのも珍しい。
第3楽章の主題が4楽章にも顔を見せる技法はメンデルスゾーンが好んだものだが、ここでは妖精的だったスケルツォ主題は軽快感よりも慌しさを強調するために用いられている。

細かく激しく走り回り続ける第1主題、ヒロイックな第2主題、迫力で盛り上げる第3主題、劇的な緊張感の第4主題とスケルツォ主題が様々に組み合わせを変えながら2重フーガを展開するというとても16歳の少年が書いたとは思えない凝った曲だ。

後年(とはいっても若干20歳の時)にバッハ復興のきっかけとなるマタイ受難曲の蘇演を行うほどのメンデルスゾーンだから、幼少の頃からバッハの平均率ピアノ曲集などの作品に親しんでフーガの技法をすでに身に付けていたのだろう。

余談だがバッハといえば古楽器が市民権を得た昨今、メンデルスゾーンの音楽までバロック風なアーティキュレーションで演奏する古楽器演奏団体もあるが、ロマン派に必要な色気が感じられないつまらない演奏になる場合が多い。古楽器奏法ではロマン派作曲家のそれぞれの個性的サウンドと音楽を描き分けることは難しいだろう。

いくらにぎやかな曲といえども静かな部分が何箇所かにあるのが普通だがこの曲には強弱の変化と若干のレガート音型部分はあるものの全体的印象としては、いつも元気よく走り回っている感じが強い。

ひたすら盛り上がり続けてコーダに至ると、第1楽章のコーダと同じ雰囲気の「たそがれサウンド」メロディーが顔を出し、去りがたいしみじみ感をただよわせながら終結部のクライマックスを作って曲を結ぶ。なんともメンデルスゾーンらしくて良い。この部分も気に入っている。

この楽章の元気の良さにはよほど体調の良い時でないとついてゆけないが、楽譜を見ながら聴くと、様々な隠れた音型や音楽的仕掛けの面白さをたくさん発見できて楽しめる。

つづく


                                                 



メンデルスゾーン 弦楽八重奏曲 Es Op.20 その9

2006年02月14日 16:25


メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲についてこれまでは元気な1・3・4楽章のことを書いてきた。
今回は静かな第2楽章について少しばかり気になることを。

この楽章はなにげなく聞いているとまったく印象に残らないまま過ぎていく。
楽章の終わりもはっきりとせず、急に第3楽章のスケルツォが始まって驚くことがある。

真剣!に聴くとなかなか雰囲気のある良い曲なのだが、最初から最後までじっと集中して聴くのは難しい。何が原因で印象が薄い曲になっているのかを少し調べてみよう。

最大の原因はこの楽章の主要な主題メロディーがあまりメロディーらしくないことと、経過部などの音型も短いフレーズの集合体で出来ていることで、全体が一つの大きな流れとしてとらえにくいこと。

6/8拍子で書かれた曲だが、3小節(1+2)の序奏後に表れる第一主題は、2+2+1+1+2小節で合計8小節のメロディーとして書かれているものの、最初の(2+2)と次の(1+1)はそれぞれ同じ音型を2度ずつくり返す。

しかも序奏の(2)と第一主題の前半(2+2)の部分は同じ音型のくり返しになるので、すでにここまでで聴き手は同じ音型を6回も聴いていることになる。それに続く(1+1)の部分も(2)部分の前半と同じ形なのでますます単調な印象を強めている。

序奏の始まりの2小節間のチェロとヴィラのメロディーがそのまま発展して続いてくれたら見事なベートーベン的な叙情楽章になりそうな予感を感じさせるが、あっさりとヴァイオリンパートに移り素直!な展開になるのが残念。

この第一主題はいつまで経っても序奏風の雰囲気が続き、次に本物のメロディーが出てきそうな期待感を持たせ続けるが何も現れないので欲求不満を感じる。メロディとも対旋律ともつかないメランコリーな良い音型が少しだけ姿を見せるが(これも同音型の繰り返しで出来ている)長く続くことはない。

経過部へ移るが、この後も1小節か2小節単位の音型がくり返されながら進行する。

ここでメンデルスゾーンは音楽の単調さをカバーするために、不安感と緊張感を高める働きのある細かい3連符音型を登場させる。この3連符はこのあと全曲、全パートに姿を出し続けて大活躍!をする。

第2主題も経過部風の1小節単位の簡単な音型が4パートのヴァイオリンを巡るだけの単純なものでメロディーらしさはあまり感じられない。パートが移り変わる際に2度音程でぶつかる響きと下降音階伴奏がなんとも切なくて良いが・・。

続く展開部はメンデルスゾーンらしい哀愁を感じさせる静から古典派的な激しい情熱を感じさせる動へと盛り上がる。
3連符の助けで力強く緊張感はあるものの、そこで使用される主なモチーフ群は短く、わずか1拍、3拍か、長くても1小節というもので、まるで伴奏音型同士かぶつかりあって曲が出来ているかのようである。ヴィオラにメロディーらしきものが姿を現すがこれも続かずすぐに消える。


展開部が静まって再現部に入る。
第一主題を省略して第二主題から始まる(さすがにメンデルスゾーンも変化の乏しさが気になったて第一主題をカットしたか、ロマン派好みの変則再現部を目指したか)が、雰囲気は提示部と同じでいつまでたってもまとまったメロディーらしきものが現れずに静かなままでコーダへ向かう。

コーダは第一主題の音型を断片的に回想しながら進むが、例の3連符が最後まで影を落としている。
曲は消え入るようにいつの間にか終わっている。

同じ音型の繰り返しでも、ベートーベンの『交響曲第5番「運命」』の第一楽章のようにフレーズの目的地をはっきりと意識した音の選び方と、音型の立体的な組み上げ方がなされれば聴き手は全体像をとらえることが出来るが、この曲のように同音型を平面的に連続して並べるだけの曲作りでは聞き手の集中力を持続させることはできない。
特徴のない「部分」の連続は「全体」をつかみにくくする。よく言えば幻想曲風にはなるが・・


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